2015年8月27日 星期四

京都體驗・京都の体験(下編)

獻給Yogi桑的花束
ヨギさんに捧げた花束

撰文者:Vivi

這幾天晚上我都有很多話跟Lynn老師分享,見過Yogi桑的這晚,我很害怕的告訴她,我很怕我會開始依賴,雖然我還沒開始喜歡Yogi桑,但是我很害怕失去他,我寧願選擇先不要,因為我看到了大家對於Yogi桑的眼神,就是很愛很愛的那種,我怕我會跟他們一樣,我怕有一天如果失去了,我會很痛很痛……而且這趟京都,我同時想要自己做個決定,想確定自己要繼續還是放棄,一把鼻涕一把眼淚哭完後,我擦擦眼淚告訴Lynn,謝謝她的聆聽,我自己會找出我要的答案。


隔天下午有空到京都走走放風,準備晚上再次去Satsanga,不知道為何非常期待,回家還洗了澡化了妝,去的路途上看到看了好幾天的花店,決定帶束花去見Yogi桑,我說感覺好像約會,而且心情非常愉快。

這晚的Satsanga我問了一些問題,
我問:「如果有一天Yogi桑死了怎麼辦?是不是這個教導就不能繼續了? 」
Yogi桑回答:「我死的只是這個身體,這個存在一直都在。」
接著問:「Yogi桑的母親在去年過世了,Yogi桑有什麼感覺?」
Yogi桑回答:「我很感謝她把我生下來,把這個身體生下來。」(我心想:就這樣!!!!沒有其他的!!!)
這時有一位出席者告訴我,他的母親也在去年過世,他並不覺得他因為身體的死亡而覺得他的母親離開他了。但我當下的想法只有,那是不是當你身邊的親人離開你時,我們為了讓自己可以繼續活下去不被擊垮,而所編織跟洗腦自己的話?因為我不想騙我自己,我想要真心這麼覺得。


我所環繞的問題都在關於死亡上面,我發現了我真正的問題是我很害怕失去我的母親,我想先練習死亡這件事,我怕她有一天離開我我會很痛苦,但藉由這幾天的洗禮後,我開始相信身體會死去,但這存在一直都在,是真的存在,不是騙自己的,但這不代表我準備好了,知道跟做到是不一樣的。

我知道真實是真的存在。
而我更發現住在前輩家的這段時間,我看到「瑜伽就是生活」這個道理。他們吃飯、練習、工作、聊天,都是真正的用心在生活,認真的活著。
希望跟我一樣鐵齒、而且小心翼翼、想一窺究竟這到底是什麼的人,都不要抱著任何的期待去一趟京都看看,自己感受的比別人說的精彩很多也踏實很多。

(終)

上編連結



この頃、リンとたくさん話しました。「もし依存するようになったら怖いです。まだヨギさんのことを好きになっていないですが、ヨギさんがいなくなることが怖くて、ヨギさんのことを好きになりたくないです。みんなのヨギさんを見つめる眼差しには、いっぱい愛が溢れています。もし私もみんなのようにヨギさんのことを好きになったとして、そしてもしいつかヨギさんを失うことを考えると、私はその苦しみに耐えられないです……」。ヨギさんに会った夜、私は怖くてリンに告白しました。この旅で、私は決断をしたいと思っていました。ヨーガの道を続けるか、やめるか。そして、鼻水も出てしまうほど、私は泣いてしまいました。そのあと涙を拭いて、リンが話を聞いてくれたことに感謝して、自分の答えを自分で見つけようと決心しました。

翌日の午後ちょっと散策してから、宿泊先に帰って夜のサットサンガに出席するために準備を始めました。分からないけど、すごく楽しみにしていました。シャワーも浴びて、メイクアップしました。アーシュラマへの途中で花屋さんを見つけて、ヨギさんに差し上げたいから、花束を買いました。何かデートのような感じで、とてもいい気分でした。

その夜のサットサンガで私はヨギさんに尋ねました。
「もしいつかヨギさんがおられなくなったら、みんなはどうやってまた同じように集まることができますか?」
「なくなるのはこの体だけです。本質はなくなることはありません」とヨギさんは答えてくれました。
そして、「ヨギさんのお母さんは去年亡くなりました。それに対してヨギさんはどのように感じましたか?」と質問したら、ヨギさんは、「この体を産んでくれたことに感謝します」と答えてくれました。私は、(え?! それだけですか? 他には何も思わなかったのですか?)と思いました。
その時一人の参加者が私に言いました。彼のお母さんも去年亡くなりましたが、彼はお母さんの体がなくなっても、お母さんもいなくなったとは思っていません、と。
その話を聞いた瞬間、(それは、もし家族がいなくなったら、自分も不安で生き続けることができないかもしれない、そうならないためにごまかしているのではないか)と思いました。私は自分をごまかしたくないし、もし本質が常にあるのなら、それを心から信じたいと思いました。

この数日、自分が聞いた質問は全部死に関するものだったことに気づきました。私の中にある本当の問題は、いつか私のお母さんがいなくなることを恐れているということです。私は死について準備しておきたいです。その理由はお母さんがいなくなったら、私は苦しんでしまうかもしれないからです。しかしながら、この数日に経験したすべてのことによって、私は信じ始めました。体がなくなっても、その存在がいつもあるということを。それは、本当に存在していると思っていて、自分をごまかしているのではありません。というのも、死に対する準備がまだ完全に終わったわけではないからです。知るとできるは違いますよね。

いま私は、真実が本当に存在することを知りました。
先輩たちの家に泊まる間、「ヨーガは生活」ということをはっきり見ました。先輩たちは食事しても、アーサナや瞑想をしても、働いても、おしゃべりしても、心を込めて真面目に生きています。

私のように強情で、慎重で、いったい真実は何かを知りたい人は、とにかく何にも考えず、京都に一度行ってほしいです。自分が感じることは他の人が言うことよりもっと精彩で、もっと確実だと思います!

(終わり)
by ヴィヴィ

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